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2017年7月31日月曜日

語らずして語る俳句



















 

芥川龍之介佛大暑かな    久保田万太郎

 

 

7月(の後半)になると、この句を思い出す。

うまく言えないが、この句を呟くと、

 

暑い…。

 

と思う気持が不思議と湧いてくる。

 

この句はご承知の通り、芥川龍之介が自殺した時の、万太郎の弔句である。

万太郎と龍之介は同じ下町の生まれで、両国高校の先輩、後輩だった。

 

「大暑」という言葉がこんなに効果的な俳句を他には知らない。

この句は、「芥川龍之介佛」と「大暑」の取り合わせだけの句である。

普通なら、もう少し「悼む」気持をしゃべりたくなるものだが、そんなことは一切言っていない。

言っていないのに、芥川を悼む気持がひしひしと伝わってくる。

龍之介と万太郎は、俳句を見せ合ったりした仲だったから、天国の龍之介も「見事!」と思ったのではないか。

 

同じように何も感傷や説明を何も述べず、悼みの気持を述べた句がある。

 

鎌倉右大臣実朝の忌なりけり    尾崎迷堂

 

 

「実朝」とは、鎌倉幕府三代将軍・源実朝である。

頼朝の子で、二代目将軍・頼家の遺児・公暁に、鎌倉鶴岡八幡宮で暗殺された。

芭蕉や子規も認める、優れた歌人で、その歌風は「万葉調」と呼ばれ、今も人気が高い。

(私も大好きである。)

春の大雪が降る日で、鶴岡八幡で行われた右大臣就任儀式の途中であった。

 

この句も、何にも言っていない。

ただ、「鎌倉右大臣」という言葉だけが添えられているだけだ。

親の頼朝は「右中将」だった。

「右大臣」は当時、源氏の武家としては最高の出世であった。

この上位には「太政大臣」と「左大臣」しかいない。

ただ、厳密に言えば、政治はすでに鎌倉幕府が執り行い、京都の朝廷が授かる位階などは、すでにあまり大きな効果はなかった。

 

この句は、「鎌倉」もいいが、きっと「右大臣」がいいのだ。

「太政大臣」「左大臣」では位階を極めすぎている。

句が華やかになってしまう。

太政大臣は常設ではなく、ふだんは左大臣が最高位であるから、太政大臣、左大臣では位階を極めすぎて華やかになってしまうのである。

 

この「途中」というところに、実朝の悲劇性が感じられるのである。

また、すでに、政治の実権は源氏将軍には無く、北条政子や、執権の北条家が握っていた、ということを考えれば、そこに「悲しみ」も出るだろう。

もちろん「暗殺」ということも念頭に置けば、なおさら「悲しさ」が湧く。

 

しかし、俳句はただただ味わうものである。

そういうことを考えたりしなくても、この句を呟くだけで、なにかしらの「かなしび」は湧いてこないだろうか?

万太郎の句と同様、俳句は語らずして語ることが出来る。

そのお手本のような二句である。

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